アクセスカウンタ

プロフィール

ブログ名
袋小路のはぐれ者−susie
ブログ紹介
一応は、本と本の周辺を中心に書いていくブログです。
それにとどまらず、酒に酔ってしまうと、歯止めがなく友人・知人の暴露話を書くつもりです。ボクの近況も書きましょう。社会に対して憤懣をぶつけましょう。要するに何でも書きます。でも「書きたくはないが現状にかんがみ書かざるを得ない」ということはなるべく書かないようにするつもりです。 北杜夫がいっているように、「大切なこと肝心なことは全て省略し、くだらぬこと、とるにたりぬこと、書いても書かなくても変わりないが、どちらかといえば書かないほうがいくらかましなことだけを書くことにした」というふうに昇華できることを願っています。
zoom RSS

「神聖喜劇」、とわに。

2014/03/14 00:20
「1942年1月、対馬要塞の重砲兵連隊に補充兵役入隊兵百余名が到着した。陸軍二等兵・東堂太郎もそのひとり。「この戦争に死すべし」と思い定めた虚無主義者・東堂だったが、内務班長・大前田軍曹らの〈新兵いびり 〉には、覚えず憤激の念に駆られる。そして、超人的記憶力をただひとつの武器に、彼は奇想天外な〈抵抗〉を開始する。」

大西巨人、400字詰め原稿用紙4,700枚、25年間を掛けて完結した圧倒的戦争文学「神聖喜劇」全5巻(ボクの保有している版は文藝春秋刊、このほかに光文社刊などがある)の、第1巻に書かれている作品紹介をそのまま引き写した。
画像


写真のような漢字ばかりの小難しい文体。いかにも読みにくいが、はっきり言いますが、読み始めたらとまりません。4,700枚一気読み。中毒になります。
画像


その症例をあげよう。
ボクの連れ合いは3日で2冊は書籍を読む読書家だ。速読ができる。ただ、論理的なもの、戦争ものなどは読まない。受け付けないのだ。ボクが口を酸っぱくして「神聖喜劇」を薦めたのだが長年受け入れなかった。
ある時、実家に1カ月ほど長逗留することになり、彼女は活字中毒だから書物は田舎に帰る事態に際して必須だ。読む本がなくなって、ようやく「神聖喜劇」でも読んでみようかと第1〜2巻を携えて帰郷した。帰宅後2日目に電話で「3〜5巻を宅配便で送ってくれ」と。
ボクは「バカヤロウ!、あれほど読めと言っていたのに今日まで読まなくて読んだ後で宅配しろだと!、文庫3冊を送る手間と運送料を考えたら、そちらで買った方が安い」と拒否した。
仕方なく連れ合いは高松の最大手の書店で探したが、もちろん在庫はない。大西巨人の「神聖喜劇」が高松の書店にあるわけはないのだ。結局、ボクが送る羽目になったのだが、それくらい面白い本だ。

もうひとつ症例をあげよう。
ボクの親しい友人で、彼は理科系の研究職。その彼に「神聖喜劇」を薦めた。一発で食いつきました。彼にとっては、おそらく虚無主義者・東堂の論理性と、そこはかとなくあふれるユーモアがツボにはまったのだと思う。さっそく、やってきて「残りの巻を貸してくれ」…。そのくらい面白い小説です。

内容については、もう書かない。というのか、長くなって面倒で書けない。内容をまとめる能力もない。
推理小説、ミステリーの要素もあり、主人公・東堂の胸をすくような活躍譚でもあり、不条理な世界を告発する書でもある。東堂に次ぐ第2主人公の「冬木」、冬木は被差別部落の出身なのであるが…。この冬木のキャラクターが絶妙なのです。
画像


戦争文学の大作は数限りなくある。大岡昇平の「レイテ戦記」、トルストイの「戦争と平和」、五味川純平の「戦争と人間」、野間宏の「真空地帯」。いま、思いつかないが、その他もろもろ。ボクの序列の付け方で言うと、レイテ戦記→神聖喜劇の順。
野間宏は「真空地帯」で軍隊を特殊とした。大西巨人は「神聖喜劇」で軍隊を一般社会と同じもの、一般社会の縮図とした。ここで野間と大西の激しい論争が勃発したのだが、この論争が大西が共産党と訣別する要因となった。ボクは野間の大著である「真空地帯」も保有していたし、何度も読む努力を重ねたが、ついに第1巻すら読み切れないで、とうとう古本屋に売っぱらってしまった。

大西さん。享年97。とわに。
記事へ驚いた ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0


「アトモスフェア」という言葉

2014/03/09 02:39
「東京オリンピック−文学者の見た世紀の祭典」(講談社編、2014.1刊)について、連続3回くらい書く予定でいた。ソチ冬季オリンピックの開会に合わせてタイムリーな企画と考えていたのだが、振り向けばオリンピックは遥か彼方、もうソチパラリンピックが始まっている。開会式もみない。カーリングもみない。半円形の雪のカーブでクルクルまわる競技もみない。浅田真央ちゃんもみない。結局のところ、ハニュー君の演技をダイジェスト版で鑑賞するだけに終わった。

いまさら遅きに失するアトモスフェアであるが、とりあえず何か書いておかなければカッコウがつかない。

市川崑監督の映画「東京オリンピック」は中学生の時にみた。若い眼と感覚で一度みたきりで、その後、みていないから拙い評価になってしまうが、一大事件である東京オリンピックの記録映画として、こんなんでいいの?という感想。それくらい記録性を無視していた。いまは監督の意図がわかるのだが。
もうひとつは性的エネルギーがあふれているように感じたこと。競歩の選手を後ろからアップで撮って、その鍛えられたヒップと足がクネクネしていた。中学生には刺激が強い。

依田郁子というハードルの選手がいた。日本期待のアスリートである。市川はウォームアップの時から彼女を追っている。走る前にでんぐり返りをして気合いを入れるので有名だったが、その彼女が、いよいよという時にユニホームの上に着ていたセーター?をぱっと脱いだ。
ボクはセーターや丸首シャツを脱ぐときに手を後ろに回して首の後ろのセーターの縁をつまんで頭にかぶせて前に持ってきて、まず身体部分を抜く。しかる後に袖部分を引っ張って脱ぐ方法だ。こうすると服が裏返らないで、そのまま着ることができる。
依田選手は違っていました。腕を前で交差して両横の裾の端をつまみ、一気に上に引き上げた。あっ、そうすると服が裏返るじゃん…と思うも束の間、現れた彼女のバストが予想以上に豊満だった。女性の容貌のことをいうのもなんだが、まあ、野性的な(ぷぷっ)顔立ちである。だが、その胸の豊満さにボクは息をのんだ。市川崑、いま思うとあれは狙っていたね。

バレーボールの日本代表選手に近藤という女性がいた。バレーは鬼の大松率いる日紡貝塚が主体で、その他2〜3人が補強選手、スペシャリストとして他チームから選出された混成チーム。近藤は補強された選手であり、当然、ときどきコートに入るだけでベンチを温めることが多い。
その近藤選手がきれいだった。ベンチで、いつも心配そうに試合の成り行きを見つめている姿は可憐ではかなげだった。ボクの記憶が正しければ島倉千代子のような感じだったのだが…。

ボクは一体、映画で何をみていたのだろう。わはは。

画像

三島由紀夫は、そのバレーボール観戦記の出だしをこう書く。
「バレーボールのコートは、みがき上げた板の上に塗った、みがき上げた人工の芝生だ。そこには白い運動グツもよくうつる。赤いパンツもよくうつる。審判が差し出す黄いろい旗も鮮明にうつる。だから日本チームの女子選手たちは、まるでつやぶきんをかけるように、緑のパンツからタオルを出して、汗にぬれた床を、女らしくそっとふく」


100m走のヘイズについてはこうだ。
「その一瞬に焼きついた姿は、飛んでもいず、ころがりもせず、人間の肉体から四方へさしのべた車輪の矢のような、その四肢を正確に動かして、正しく『人間が走っている姿』をとっていた。その複雑な厄介な形が、百メートルの空間を、どうしてああも、神速に駆け抜けることができるのだろう。彼は空間の壁抜けをやってのけたのだ」

バレーボールでは赤いパンツと緑のパンツの不整合性に合点がいかず、もしかしたら緑のタオルの間違いではないかと思うし、ヘイズでは神速ではなく迅速ではないかと気にはなるのだが(これは神速でいいのだろう)、このふたつの文章は、まさに三島由紀夫である。文学しているというか、芸術しているというか。彼はエライ人だったんだなあ。

一方で、大江健三郎も負けてはいない。「七万三千人の≪子供の時間≫」というタイトルで開会式の模様をリポートしている。
彼はしきりにロイヤルボックスの様子を気にして双眼鏡で眺めている。常陸宮夫妻、高松宮、皇太子夫妻(もちろん現天皇)の動向を双眼鏡で観察した。時の池田隼人首相と皇太子との会話なども双眼鏡の目で覗いて勝手に想像して書きこんでいる。ぷぷっ。
そして、開会式に参加できた7万3,000人のエリートと、深夜に忍びこんでスタジアムの便所に隠れていた工員、塀を乗り越えて侵入した学生たちを同列に扱って、学生や工員たちは留置場のテレビで開会式をみることができたのだろうかと心配している。
さらに、自分の右隣に座っているドイツ人夫人たちの、ヒタチノミヤやプリンセスを指さしながら、あっけらかんとした嬌声を伝えるとともに、彼女たちが、入場行進をする黒人たちの鍛え抜かれたエロチックな身体に華やぐ様子を正確に書きとめている。

大江の真骨頂は、レスリングでなすすべもなく敗れた自衛隊出身の選手が、八田一郎レスリング会長の怒りにふれて選手村を追い出された顛末についての記述である。これはボクもおぼろげながら覚えている。
八田一郎っていう人物は、この当時、スターだった。鬼の大松と双璧をなす。根性論、日本精神で世渡りをしてきた、まあ、ボクの嫌いな人物である。八田なんて男は、メダル候補を多く抱えたレスリング選手たちが夜遊びするのを懸念して、アソコの毛を全部剃らせた(ぷぷっ)、もう女遊びもできまい!っていうレベルの男だから。その結果?がメダル輩出。わはははは。

選手村を追い出された選手について大江は書く。
ちょっと長くなるが引用する。
「八田という、いちばんのお偉方が、こんなことをいっている、彼は模範的な自衛隊員だ、守るだけで攻めることをしようとしない。
これはぼくがオリンピック関係の新聞記事に発見した、もっともユーモラスな談話である。このお偉方が、いかにくやしがっているか、ということもよくわかるし、それでいてそこにまぎれこむ滑稽味が負けた選手を追い出すという行為のイジマシサを、いくらかはみずから救っている。追放された選手も、この談話を読めば、破顔一笑せざるをえないであろうし、結局、ヒステリックに常軌をいっしたお偉方たちを寛大に許す気持ちになるのではあるまいか」

大江健三郎は、一般に、こ難しいことを書くと思われているが、1964年当時からこういうユーモアを持っていた。彼の「同時代ゲーム」(新潮社)などは、まさに、こういうユーモアがちりばめられていて、時にあははっ、と笑ってしまう。ユーモアは個々人の特性であるから、これのどこが面白いのだろうと訝る人は大江の小説はパスした方がいい。感受性が合わないというだけのことである。

画像


あと、2回ほど「東京オリンピック−文学者の見た世紀の祭典」について書きたかったが、もういいや。
これは、まさしく文学者による従軍記事である。世間を批評、批判することで成り立っている彼らが、どう従軍記事を書くか。
アトモスフェアに流れないでいられるかどうか。そこが作家の腕となる。おそらく、次回の東京オリンピックは、ひどいことになるのだろう。アトモスフェアに乗らなければパージされるのだろう。それが嫌ならば、原稿を引き受けない。黙り込んで中野好夫のように軽井沢にこもり、一人でテレビを観戦する消極的賛成者になるしかないのであろう。
まさか、ヒットラー統制下のベルリンオリンピックまではいかないだろうが…。節にそう願う。

なお、「アトモスフェア」という言葉をむりやり多用、タイトルにも使いましたが、これにはわけがありますねん。ぷぷっ。
【3月9日午後6時追加】さらに、なお。ただ今、気になって調べましたら「atmosphere」の発音は「ǽtmsfìr」、日本語ではアトモスフィアが正しいようです。TYさん、しっかりしてくれよ^^
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 8


「利休にたずねよ」の山本兼一さん死去

2014/02/13 23:58
山本兼一さん死去。享年57。
2002年に「白鷹伝」でデビューしたあとは、04年「火天の城」で松本清張賞。09年、千利休の美意識に根ざした秀吉との軋轢、そして、その死の真相に迫った「利休にたずねよ」で直木賞と順調な作家生活であった。

画像


時代小説、歴史小説は数多いが、「白鷹伝」は信長〜秀吉らに仕えた鷹匠、鷹狩りに題材を求め、鷹狩りのルーツであるモンゴルまで取材を進めた。
「火天の城」は信長が安土城を築城する話。といっても主人公は信長ではない。彼はわがままな施主としての役割であり、大工の棟梁(番匠)とその息子が艱難辛苦の末に七重、吹き抜け、六角堂の天守を持つ城を築城し、あっけなく明智光秀の手の者によって炎上するまでの物語である。両書とも信長や秀吉ら有名人?を脇役にして、技術者、職人としての鷹匠、大工の棟梁の視点で物語を進めていったところに斬新さがあった。
「火天の城」では、あれこれ注文をつける気難しい施主・信長、建築資材の調達と工期の問題、職人たちの反目と棟梁による統率など、NHKの「プロジェクトX」の要素を織り込みながら読ませる内容になっている。

「利休にたずねよ」は周知のとおり、先般、市川海老蔵主演による映画化がなされた。評判はどうであったのか? 生憎みていない。原作は利休切腹の場面から始まり、徐々に年代が若返って利休の美の原点に迫っていく短篇連作。デビュー当時はテーマの勝利、さらに飽きさせず読ませる構成のうまさで乗り切ってきたが、一作ごとに人物造形に厚みが出てきた。
まだ、57歳と若く、これからだと思っていたが残念である。
画像
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 2


文学者の見た世紀の祭典/東京オリンピック その1

2014/02/12 23:44
ソチ五輪が盛り上がって?(何もみていないけど)、何年か後に再び東京でオリンピックが開催される(五輪はマラソン、100メートル走、サッカーしかみないけど)というので、50年前に開催された東京オリンピック関連本が多数出版されている。
東京五輪時、ボクは1951年生まれだから中学1年生、四国の田舎でモノクロテレビによる観戦であった。真っ蒼な空に自衛隊機が五輪のマークを描いて、グリーンの芝生を背景に、赤褐色のアンツーカーを赤いブレザーを着た日本選手団が整然と行進するのを、わくわくしながらみていた。くどいようだがモノクロテレビで…。
50年前、東京で開催されたオリンピックは、先般、韓国や中国で開催されたオリンピックのように国威高揚を目的としたものであり、それ自体が政治的なものであったが、それなりに意味があったのだろう。
しかし、何年か後に開催される東京オリンピック・パラリンピックは何の意味があるのだろうか? 福島市での開催を日本全体で全力を挙げて支えるオリンピックならばまだしも、斜陽の道を辿る日本の首都で再び開催するオリンピック…。
ボクは昼寝でもしていよう。
競技場で日の丸を振るなんてまっぴら御免だ。

「東京オリンピック−文学者の見た世紀の祭典」(講談社編)は1964年12月に講談社が出版した同タイトル本を底本として、今年1月に講談社文芸文庫として装い新たに上梓された。
書影のように執筆者は当時第一線の代表選手。右も左も、純文学も大衆小説家も、文芸評論家も詩人も、男流も女流も、インテリもボンクラも…、まさに文学者によるルポルタージュのオリンピックである。
寝床で拾い読みをしようと軽い気持で手に取ったのだが、なかなかどうして面白すぎて、つっこみどころ満載、はたまた感心することしきりで、とうとう一気に読み終えてしまった。
読書前のボクの狙いはもちろん、50年後の目で読んで彼、彼女の見当外れとその後の転向を笑ってやろうという性格の悪さであったのだが、各人、いまの目でみても意外にぶれていない。さすがである。とは言うものの、みんな、世紀のオリンピックをまのあたりにして、しかもシロートがスポーツのルポを書くということになれていないせいもあったのだろう、おっかなびっくりというか、ほどほどのところで押さえてしまっている。そんなものなのだろうね。
ここに沢木耕太郎や海老沢泰久や山際淳司らのスポーツライターがいたならば、水を得た魚のように活写していただろうに。

画像


文学者が表現するオリンピックはスポーツそのもの−勝った・負けたの勝負−や、選手の内面に迫るものといったスポーツルポだけではない。
当時も、当たり前のように「なぜ、いま、東京で、オリンピックを開催する必要があるのか」「政治的なものとしてのオリンピック」「大衆のお祭りとしてのバカ騒ぎ」等々、さまざまな問題を抱えていたことが彼らの文章によってわかる。しかし、それらに対する鋭い考察が影をひそめてしまっている。上に書いた「右も左も…インテリもボンクラも」まで、濃淡はあれ同様の筆致である。

これはなんだろう?
獅子文六の「開会式を見て」はこう書く。
「しかし、これだけ多数の群衆を見ると、オリンピックを冷眼視した日本インテリも、理屈も何もなくなってくるだろう。まあなんでもいい。始めたからには、成功させなければならない」
この一点に絞られている。反対するものは沈黙している。そして圧倒的多数の群衆に迎合せざるを得なくなる。昔、経験したよね。戦時中の総動員体制による文学者による従軍記事。民主化を謳歌しようという1964年の時点で、この腰が引けた姿勢である。この姿勢は右も左も変わっていない。右も抑制して左も突出はしていない。群衆が怖いのであろう。距離感を図っているに違いない。
何年か後に開催される東京オリンピック。文学者は例によって動員されるのだろう。独自の視点で書くのだろう。でも、結果はみえている。戦時中も1964年も何年か後の東京オリンピックも同じなのだ。

堀口大学は「燃えろ東京精神」という詩のなかで「一千万よ 億万よ/目をあげて見よ 手をつなげ、/平和の烽火 聖火台/燃えろ烈々 星焦がせ」とうたう。戦時中かよ。
井上靖は「開幕」という詩のなかで「日本列島は千二百年目の秋晴れです。今宵月明の中を、渡り鳥の大集団が四国と北海道と九州に着陸するでしょう」と、わけのわからないことを書く。(いいたいことはわかっているけど、ぷぷっ)

一方で、杉本苑子は「あすへの祈念」としてこう書く。
そのままではなく抜粋であることはご勘弁。
「20年前のやはり10月、同じ競技場に私はいた。女子学生のひとりであった。出征していく学徒兵たちを秋雨のグラウンドに立って見送ったのである。学徒出陣壮行会の日の記憶がよみがえってくる。天皇、皇后がご臨席になったロイヤルボックスのあたりには、東条英機首相が立って、敵米英を撃滅せよと、学徒兵たちを激励した。
音楽はあの日もあった。君が代が奏せられた。しかし、色彩は全くなかった。学徒兵たちは制服、制帽に着剣し、ゲートルを巻き銃をかついでいるきり。グラウンドもカーキ色と黒のふた色。暗欝な雨空がその上をおおい、足もとは一面のぬかるみであった。寒さは感じなかった。おさない、純な感動に燃えきっていたのである」

「文学者が見た世紀の祭典」とは、こういうことを書くべきなのだろう。東京オリンピックのさわやかな秋晴れと、あのボクたちがテレビで何度も見る学徒動員の雨の日の映像の対比。杉本は、その両方を見ていたのだ。ボクは彼女の文章で初めて気づいた。うかつであった。国立競技場と学徒動員の神宮競技場が同じ場所であったのか。女性作家の思い切った視点。1964年10月10日の群衆が大騒ぎしているなかで新聞(共同通信配信)に、ここまでお祭りを冷やすようなことが決然と書けるか。


…、ということを前振りにして、しばらく「東京オリンピック−文学者の見た世紀の祭典」(講談社編)について【すばやく日を置かず!】連載していこうと思っている。
これ、ひとりひとり、まな板にあげてもホントに面白いんだ。
そこまで暇ではないから、次回からアツパラパーで書く。64年文士競技による東京オリンピック。
金メダルは三島由紀夫&大江健三郎。やはり、この右、左はオリンピックルポにしても群を抜いている。才能がキラめていている。とくに三島には惚れる。この人の的確さって、こんなに凄いのか。銀メダルは石原慎太郎&小田実。これも期せずして右、左となったが、文学として評価しているのであって思想は関係ない。銅メダルは、もう酔っ払ったから選定が面倒。
予選落ち! 阿川弘之、亀井勝一郎、武田泰淳。保守主義と大物評論家と第一次戦後派。これはダメだ。まったく場所を得ていない。無理だと思ったら原稿を引き受けるなよ!
記事へナイス ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0


日々を慰安が吹き荒れる 言葉が枯れる

2014/01/20 17:59
分かりやすい言葉を使って人間の温かみを描いた叙情詩で知られる詩人の吉野弘さんが15日、肺炎のため静岡県富士市の自宅で死去した【朝日新聞】 享年87。

拓郎ファンにとっても因縁のある人であった。合掌

詩集っていうのは紹介するのが難しい。小説ならば、こんな話!と3行で書けるし、ダラダラと粗筋を書いても、気に入った部分を抜き書きしてもよい。詩集はとりあえず詩を書き写さなくちゃならない(長篇の詩もあるしぃ)、ひとつの詩を書いて説明しても全体は見えてこない。あっ、それはアンタの能力不足^^
詩人の「人となり」をしるして誤魔化そうにも、詩人のプライベートな生活なんて、その辺に露出しているわけでもなく実際のところがわからない。

画像


ボクが吉野弘を知ったのは、もう40年以上も前のこと、
高校3年生の時である。
「I was born」。
いまでこそ、彼の詩は教科書に頻繁に採用されているそうだが、ボクは彼の詩をどこで知ったのか?

英語を習い始めた間もない頃、少年は父と散歩をする。「青い夕霞の奥から浮き出るように、白い女がこちらにやってくる。物憂げに ゆっくりと。」
女は身重である。少年は父の目を盗みながら女の腹から目を離さない。生命の誕生の不思議さにとらわれたが、少年の発想は飛躍するのだ。「I was born」…。生まれるということが〈受身形〉であることを発見する。受身形だ。自分の意志ではないんだね、と父にその発見を伝える。
「父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。」
父は少年に生まれてから2〜3日で死んでしまう蜉蝣(かげろう)の話を唐突に始めた。蜉蝣は何の為に世の中へ出てくるのかと。父は蜉蝣の雌の生態を説明した後…、「そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは−。」
少年はその後の父の話を覚えていない。詩は「−ほっそりとした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体−」で終わる。

生まれるということが、生まれさせられるわけであり受身形であることに高校3年生のボクは感動してしまったのだ。まっ、言ってみればボクはしょーもない高校3年生であった。ぷっ。

それから2〜3年経っただろうか? われらの吉田拓郎が「祭りのあと」という−名曲といっていい−歌を歌う。作詞者は岡本おさみ。
♪日々を慰安が吹き荒れて 帰ってゆける場所がない
 日々を慰安が吹きぬけて 死んでしまうに早すぎる

すでに吉野弘の詩を知っていたボクは、うわっ、思いっ切りパクッたなと思ったものだ。
http://youtu.be/YSfjxIb2-BE


日々を慰安が:吉野弘

   さみしい心の人に風が吹く
    さみしい心の人が枯れる
          W.B.イエーツ


日々を慰安が
吹き荒れる。
 
慰安が
さみしい心の人に吹く。
さみしい心の人が枯れる。
 
明るい
機知に富んだ
クイズを
さみしい心の人が作る。
明るい
機知に富んだ
クイズを
さみしい心の人が解く。
  
慰安が笑い
ささやき
うたうとき
さみしい心の人が枯れる。
 
枯れる。

なやみが枯れる。

ねがいが枯れる。

言葉が枯れる。

たとえパクッたにしても「祭りのあと」はすごい詞である。よくよく歌詞カードをみると「フレーズを吉野弘さんからお借りしました」という旨のクレジットが入っており、パクッたわけではなかった。後に岡本が、どうしても「日々を慰安が吹き荒れる」という言葉を借用したくて、吉野弘さんという詩人がどんな人かも知らず、他に方法がないので、おっかなびっくりで、いきなり電話で了解を求めた。吉野さんは丁寧に対応して下さり了解していただいた。との趣旨のことを新聞紙上に書いていた。

一貫して社会における自己疎外を書いてきた人だと思う。そのやさしさゆえの疎外感。その意味で冒頭に紹介した朝日新聞の訃報は違うと思う。「分かりやすい言葉を使って人間の温かみを描いた叙情詩」ではない。わかりやすい言葉は使っているが、人間の温かみを書いているわけではない。ましてや叙情詩でもない。
教科書に採用されている有名な「祝婚歌」、「夕焼け」(高田渡が歌詞をかなり変えて歌っている)、「I was born」などは、やさしさや叙情を前面に出しているが、ボクはむしろ以下のような労働者、プロレタリアートとしての吉野弘の疎外感を押し出した詩のほうが好きだ。

記録   吉野弘

首切案の出た当日。事務所では、 いつに変わらぬ談笑が声高に咲いていた。

さりげない、その無反応を僕はひそかに、あやしんだが、実はその必要もなかったのだ。

翌朝、出勤はぐんと早まり、僕は遅刻者のように捺印した。

ストは挫折した。小の虫は首刎ねられ、残った者は見通しの確かさを口にした。

野辺で、牛の密殺されるのを見た。尺余のメスが心臓を突き、鉄槌が脳天を割ると、牛は敢なく膝を折った。素早く腹が裂かれ、鮮血がたっぷり、若草を浸したとき 牛の尻の穴から先を争って逃げ出す無数の寄生虫を目撃した。

生き残ったつもりでいた。

ここに掲載した吉野弘の詩は「吉野弘、タイトル〜〜」で打ち出せば、苦もなくネット上に現れます。一度読んでみてください。
そうそう、浜田省吾が歌った?のかな?「雪の日に」(残念ながらネット上にはない!) これは無産階級の詩ではないが、なかなかいいのです。

ありました!
http://www.fureai.or.jp/~t-mura/yukinohini.html(雪の日に)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E9%87%8E%E5%BC%98

チッ。今年は短く書いて手数を出そうと思っているのだが、やっぱり長いじゃん。困ったものだ。
吉野弘さん、永遠に。
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 4


年の初めの干支談議(一葉の写真から)

2014/01/12 01:22
一応は、本と本の周辺を中心に書いていくブログです。
それにとどまらず、酒に酔ってしまうと、歯止めがなく友人・知人の暴露話を書くつもりです。

そういうふうに[ブログ紹介]↑に宣言しているのだが、これまで友人たちの暴露話は書いてこなかった(フントニィー?)。 ここで、年間ブログ30本を消化するためには、是非とも友人たちの力を貸していただこう。
以下は友人の秘密の掲示板の暴露である。別に官憲が逮捕するぞ〜という話を書いているわけではないのだが、あまりに馬鹿馬鹿しいので秘密になっている。そんなのは酔っ払っていると仁義もなく表に出して暴露してしまうボクがいる。君たちがいて僕がいる。
♪心の悩みを打ち明けあって 見上げたはるかな山や海
 言葉は尽きても去りかねた そんな時にはいつの日も、あああ
 君たちがいて僕がいた …ごめんくさい〜

それは粗炊きさんが自ブログにUPした一葉の写真からはじまったのだ。
画像


【susie】
粗炊きさんのブログの写真、よくわからん。
○神馬に話しかけないでください?? 
話しかける人がいるのだろうか?
なぜ、話しかけたらいけないのだろうか?
馬を興奮させるため? あるいは神事として、沈黙を守って粛々とおごそかに参拝しなさいということなのか?
○顔にふれないで???
やはり顔にふれたがる人間がいるのだろうね。結構、度胸がある。
○ニンジンはお皿であげてください
う〜む。馬がニンジンを好きだとは聞いていたが本当に好きなんだね。ニンジンとお皿が用意してあるのが笑ってしまう。
話しかけたり顔にふれるのはNGだが、ニンジンの差し入れはいいらしい。
参拝客が野放図にニンジンを渡していたら馬が困るような気がするのだが…。
なんか、全体的に面白いなあ。ぷぷっ。

【粗炊き】
susieさん、私もよくわからんです!^^
確かに馬の注意事項、言われてみれば面白いですね^^
こんなこと書くのは京都だからか?

【鎌倉おじさん】
さあて、馬に話しかけて通じるのだろうか?
どんな返事をするのかな? やはりヒヒヒ〜かな(笑)

【納豆社長】
>○ニンジンはお皿であげてください
これ、奈良の鹿せんべいと一緒で人参を買わせるのでしょう。
写ってる人は売り子のおじさんだね。

【粗炊き】
おじさんの横の貼り紙! ダメを押すように「お静かにお静かに」。
にんじんは『お心もち』と書いてありました。
奈良の鹿と宮島の鹿、宮島の方がおとなしく感じますね〜。
奈良はあかん!落ち着きがないね。

※ここで、唐突に奈良が出てきたので馬と鹿がそろってしまった。
必ずしも唐突ではないのだが、
要するにボクらは馬鹿だと言っているのだろう。ぷぷっ。

【susie】
あっ、写っている人、ニンジン売りのおじさんか!
ボクはてっきり、馬の世話をしているおじさんかと思っていた。
この白馬、ずっと上賀茂神社に飼われていて、このおじさんが世話をしているんじゃないの?
でも、そういえば12年に一回のために上賀茂神社も馬を飼育しているわけにもいかんか。しかし、京都の神社はカネを持っているからなあ。
ここに来年はひつじがいて、干し草を売っていたりして…(アトから註:ひつじは干し草を食べるか? それは馬だろ?)
粗炊きさん、来年も継続してリポートをよろしく。

【納豆社長 】
えっ? この馬・・・ 本物??? 彫刻じゃないの???
だって首から上しかないよ?  ほら、白い首と頭!
白い胴体は見えないよ?

※写真をみながら信じられないボケというか突っ込み。
 彫刻じゃないかと無茶振り。何を考えているんだ、この社長は。
 起承転結の「転」を狙ったのか、はたまた序破急の「急」を狙ったのか?
 それに応える粗炊きさんもエライ。

【粗炊き】
今年は馬年だから尚更、神社も力が入っているのでしょうか〜。
秋頃には今度は下神で馬祭?があるでしょう(^-^)

さる、とり、いぬ、いのしし〜 ん?
まさかね〜 12支を飼育していたら動物園だ!
↓黒い服?着てるのわかるかなあ。
彫刻って〜そんなむちゃなあ〜(⌒‐⌒)
画像


【納豆社長 】
ごめんごめん この写真だとよくわかります(^^)
正月だから、おめかししてたんだね(笑)

※この素っとぼけた、わざとらしいコメントがいいのです。ぷっ。

【鎌倉おじさん】
当神社は午年守護神、日本乗馬発祥の地と言われています。それは、御祭神御降臨に際し「葵を飾り馬を走らせてまつりをせよ」とのお告げ通りに初めて人が馬に跨り走らせたという事からです。元旦から5日まで毎日日中、天候がよければ神馬、神山号(こうやまごう)も出社しておりますので、どうぞ初詣にお越し下さい。…とのことです

※ホラ、みんな、ちゃんと事実に当たりなさいよ。
 ちょっと調べればグゥのネも出ない回答があるんですよ。
 鎌倉おじさん、エライ。

【粗炊き】
へぇ 〜。

【susie】
やっぱり、馬と厩務員がいるのだ。
人類が初めて馬に乗って走ったのが上賀茂神社だったのか!
これは意外だった。へぇ〜。話は聞くものだ。
ものには必ず始まりがある。

蒙古遊牧民よ、キミたちは、まだまだひよっこだ。
アメリカの騎兵隊とインディアンどもよ。
正月には、この神社にお参りに来るように。


※これが魔の京都ですね。ちょっと油断していると、先の戦争が応仁の乱であったり、ぼんやりと馬の話をしていると、世界最古の乗馬が上賀茂神社であったりするのだから人知の及ぶところではありません。

正月第2弾がこれかい! このブログの前途は暗いな。

まあ、そんなこんなを書きながら、ふと三島由紀夫の遺言ともいえる「豊饒の海」4部作のことを思ったわけだ。
1969年(昭和44年)1月5日に第1巻「春の雪」を刊行、そして「奔馬」「暁の寺」と続いて1971年2月発行の「天人五衰」で完結する。午年にふさわしい?三島の「奔馬」。
三島は周知のとおり、「豊饒の海」」の最終巻の原稿を出版社に渡したのち、70年11月に自衛隊市ヶ谷駐屯所に乱入して割腹自殺を遂げる。第2巻「奔馬」は「腐敗した政財界に義憤を感じ、昭和の神風連を胸に変革の志に燃えた大学予科生の妥協なき闘いを描く行動小説」である。
神風連の乱とは明治維新後、新政府の政策に不満を抱いた下級武士連が反乱をおこして熊本鎮台を占拠、結局は鎮圧されたが、これが西南戦争につながっていった事件。

フクシマの解決すらおぼつかない政府。細川〜小泉による反原発連合に怯えて、争点隠しのため国のエネルギー政策の決定を遅らせる自民党。TPP、周辺諸国との外交、オキナワ、消費税、福祉の切り捨て、もはやドン詰まりのレイムダック状態の政権であるのに、不思議なオポチュリズムに支えられて奇妙に明るい安倍内閣。

三島が存命であれば、この状況にどう発信するのか。ああっ、存命であっても、1925年1月14日生まれだから、もう89歳になってしまうのか。そんな歳だったのか。いつまでも青年将校のつもりでいたのだが。
もっとも彼が発信しても、どの道、いい方向には進まず過激になるだけだろうが。
画像


「奔馬」は、政財界の黒幕を暗殺した勲が追手を逃れて自殺するところで幕を閉じる。
最終3行を筆記しておこう。三島の行く末を暗示している。
「勲は深く呼吸をして、左手で腹を撫でると、瞑目して、右手の小刀の刃先をそこに押しあて、左手の指さきで位置を定め、右腕に力をこめて突っ込んだ。
正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏に赫奕と昇った。(第二巻をはり)」

「奔馬」(新潮社刊)、昭和44年2月25日初刷。定価は720円であった。
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0


2014年を寿ぎます 各位のご多幸を。

2014/01/01 01:39
画像

世間から「季刊ブログ」だとか「年刊ブログ」だとか
揶揄されている、この「袋小路のはぐれもの」
数えてみると2013年のエントリーは7本であった。
なかなか、頑張っているではないか!

畏敬する女性友人から、突然のメール。
----------------------------------------------------------
その後、お変わりありませんか?
このあいだ(といっても、たぶんもう数カ月たつけど)、
久しぶりにsusieくんのブログをのぞこうとしたら、
お気に入りから消えていました。
どうも、お気に入りの整理をしたときに誤って消してしまったみたいで、
再登録しようとしたのですが、
なんとタイトルが思い出せません(泣笑)。
こうだったかな、と思うのをいろいろ試してみたのですが、ぜんぶはずれ。
ということで、
タイトル、教えてくらさい。できたら年内にお願いします。
(あ、でも、もしかしたら、お正月で帰省してるかな?)
----------------------------------------------------------

あのなあ。この間、それも数カ月以上無視しておいて
この年の瀬にブログの「タイトル、教えてくらさい」ぃぃぃ〜??
しかも、できたら年内にお願いします???
数か月、ほったらかしにしておいて、なして今、切羽詰まった声を出す。

ブログのタイトル? そんな急に言われても、
ボクも忘れてしまっているわい!

本年は講釈を言わないで短く、30本は入稿します。
ネタはいくらでもあるのだから。
みなさん、期待してください。どうぞ、よろしく。

おっ〜し。とりあえず景気づけに
デカうみ人形とともに『逆軍の旗』。
画像
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 6


ちえこみょうってなに?

2013/10/06 03:07
夜、バーボンを飲みながらパソコンを打ちながら、ラジオをきいていると、国営放送の若い男のアナウンサーが「智恵子抄」のことを話している。高村光太郎の詩「レモン哀歌」についてふれている。
ところが、このアナウンサー、「智恵子抄」の読みを「ちえこみょう」と言った。ながら聞きだったため、一瞬、何が起こったのかわからなかった。えっ? え! ちえこみょうって何だ?
何分か後に「ちえこしょうというのだそうです」と訂正した。
??いうのだそうです????
このアナウンサー、高村光太郎も智恵子も全く知らないのだろう。ただただ、放送作家が原稿を書いた、そのとおりの筋書きで話題を進めているのだろう。もう、詩や短歌が教養として必要だった時代は遠い過去のものとなっている。知らないのはいいのだが、そんなヤツが「レモン哀歌」について、きいたふうなことを語るな。これは智恵子が死去した時の光太郎の詩である。

どこかにあるはずなのだが、「智恵子抄」の文庫本が、みつからない。
ネットから拝借^^
画像


レモン哀歌

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう


高校時代、現代国語の時間に「智恵子抄」が話題になった。隣の席の友人が「susieちゃん、智恵子抄ってなに? 小説?」と小さな声でたずねた。その声を拾った教師が苦笑して「susie、説明してやれ」と指名を受けたが、智恵子抄を知らないという、あまりのことに、うまく説明できなかった。あれは光太郎の妻・智恵子への愛を詩と短歌とエッセイ?で書き記したものである。「抄」となっているのは、光太郎はその他にも智恵子に関する詩やエッセイや短歌をたくさん書いただろうが、そのなかで選んで編集されたものが「智恵子抄」である。そのへんの説明がうまくできなかった。彼は「抄」に引っ掛かっていたようだ。

このボクに智恵子抄って何?と訊ねた男は、その後、国立大学の教授になっている。しばらく消息を聞いていないし、この歳だから、もう退官しているのかと思って、いま大学のHPに入ってみると、まだ現役。大きな写真付きで履歴が紹介されている。さすがに歳をとったなあ。それでも大学教授らしい自信に満ちた風貌である。いい男になった。君の人生やよし!
智恵子抄を知らなかったということで彼を貶めているわけではなく、たまたま、彼は知らなかっただけなのだ。「太宰は嫌い! 坂口安吾が好きだ」と言っていたように、高校時代からよく本は読んでいた。
東京から遠く離れた大学であり、なかなか会えない。大学教授だから東京への出張もしばしばある。一時期、出張の際、コンタクトをとってきたこともあるが、ボクの方が、そういう付き合いは面倒だと思っていた時期があって断っていた。

そんな関係で疎遠になってきたが、また、話そう。O君よ!

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ…

これも、もう、若い人はわからないだろうなあ。
コロムビア・ローズ。ボクは結構、この人が好きだった。


ここから「智恵子抄」を全文読めます。
たまには腹黒さを忘れて純愛路線もどお?ぷぷっ。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001168/files/46669_25695.html

浅草・浅草寺/高村光太郎作
画像
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 2


昭和という時代がひとつひとつ区切りをつけていく

2013/08/23 00:32
午前4時半起き。8時半まで仕事をして九段の事務所入り。昼過ぎ、友人の掲示板をのぞくと「圭子の夢は夜ひらく」ガUPされている。突然のUPで何を考えているのだろう、多忙のなか付き合ってはいられないと、そのまま閉じて仕事。
編集作業、大きなヤマを越えて、もうあと一歩。
帰宅途中に金麦ロング缶を買って自宅でグビグビ飲んだら、そのまま沈没。酔いから覚めると、連れ合いから藤圭子が自殺をしたよ、と聞かされて「えっ!」。
ボクと同い年。なんなんだよぅ。

幸せな生き方をした人とは思わないが、不幸でもなかったと考えるのである。基本、頭のよかった人ではないか。性格は破滅型であったのかもしれない。が、そんなことは全く知らない他人のボクが想像するだけのことだ。
彼女のデビュー当時のイメージは多分にプロデュースされていたのだろう。そのイメージに対して、彼女自身が現実と虚構の区別がつかなかった、というよりつけなかったのではないか。

♪きのうマー坊 今日トミー あすはジョージかケン坊か

自ら流れ、流されることを望んでいたのではないだろうか。
ボクがいま藤圭子に対して思うことは、60年安保の挫折感を西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」が体現したと同じように、藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」が70年安保の挫折を背負ったということだ。それは彼女のあずかり知らぬことであろう。
いま、you tubeで彼女の演歌を改めてきくと、怨歌とかドスの利いた声などと言われていたが、不思議と、なんていうのかなあ、明るく開放的にきこえてしまうのだ。こんなんだっけ?

昭和という時代がひとつひとつ区切りをつけていく。

画像

「昭和の跫音」(立川昭二著、1992年6月、筑摩書房発行)
藤圭子と何の関係もないが名著です。
記事へ驚いた ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 2


月日はハクタイの過客にして…

2013/06/07 01:03
月日は百代の過客にして…
光陰矢のごとし…。

ちょっと、留守にしている間に90日以上新記事をUPしないと広告を入れるよ!ってシステムらしい。
自宅のパソコンでは入っていなかったのだが、本日、外のパソコンからみるとトップページの左上に広告が入っていることに気づいた。うっとおしいのだ。もう、90日も放置していたのか…。

そんなはずはない。ボクは精力的に原稿を書いて投稿していたはずだ。400字換算の原稿枚数にすれば何百枚になったことか。質はともかく量では、そのへんのブロガーには負けないぞと自負していたのだが、あっ、そうだった!
それは自分の裏の掲示板や他人様のサイトに書き込んでいるだけだったのだ。ぷぷっ。

トサカに来て(英訳するとI come to head or top of the head、ぷっ)、広告だけは逃れようと新記事を入れようとしたのだった。ところが、ずっと不調だったワイヤレスマウスがついに壊れた。急遽、連れ合いのパソコンのマウスをつないで新規記事を書き込もうとすると、今度はアンタは放置している罰として、もう一回、アドレスとパスワードを入れてねって表示が出て書き込めない。

そんなアホな! どのアドレスを使っていたのか、パスワードが何であったかなんてわかるはずがないではないか。苦労ミヤマのホトトギス。

そりゃあ、何百枚でも新しい記事を入れられるが、イチヨウ、ここは読書ブログてある。本の話題にふれるブログである。その原則だけは崩したくない。…というほど大層なブログか?

いま、読んでいる太田直子著、「字幕屋ニホンゴ渡世奮闘記」(岩波書店、2013.4.16発行)が面白い。
洋画の字幕を制作するベテランが語る業界裏事情なのだが、全く知らない世界というか、そうした裏の仕事をしている人たちのことを考えてもみなかった。
書き始めると長くなるので簡単に。これは広告を逃れるためだけのダミー記事だから、ぷぷっ。

字幕は西洋人?の語るセリフ1秒に対して4文字が原則。それ以上は、映画をみている観客はついていけない。
主人公の前にいきなり見知らぬ男が現われ、「さあ、早くこっちに」と腕をつかみ、引っ張っていこうとするシーン。主人公は驚いて言う。
「wait a minute.I do not know you」 直訳すると「ちょっと待ってくれ 私はあなたをしらない」となるが、これだと19字。しかし、主人公がこのセリフを語るのはせいぜい1秒半なのだ。ここは6文字でないと観客はついていけない。字幕屋は映画の筋を追って字幕を考える。「待て、君は誰だ」「おい、やめろ」「いきなり何だ」「待て、人違いだ」「失敬な!」 その他いろいろ。

字幕でよく用いる「…」。言いよどんだり、相手にさえぎられたりして最後まで言い切れなかった時に使う。でも、実はいいよどんだりさえぎられてもいないのに「…」を使ってしまうのだ。秒=字数との関係で、うまい表現を制限字数内で思いつかなかった場合、…でお茶を濁して、あとは文脈で理解してね、と逃げるのだ。これが多用されると字幕屋の能力を疑ったほうがいい。

ボクもネット上ではよく使う。この原稿の書き出しのように。わはは。さすがに仕事上の原稿で…を使った覚えはないが…。面倒だから、てっとりばやく逃げてしまうのよね。自戒。

さっ、新しい記事を書いたぞ。皆さんがこのブログを読んで、なお左上に広告が出ているようであれば報告して下さい。ビッグローブに異議申し立てをしますから。
画像
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 8


霜葉は二月の花よりも紅なり

2013/03/01 01:08
やれやれ、2月も終わりである。
北風に外出を阻まれていた昨今も、本日はようやく暖かく、蠢いてみれば年寄りどもが「明日は春一番になるそうですよ」と伝えてくれた。
バカテレビやアホ新聞など見る必要もなく、情報はどこからともなく入ってくるのである。

高校1年の時、漢文の時間に習った唐の詩人、杜牧の七言絶句「山行」。この詩が大好き。もちろん、ソラで言える。2月晦日となりて思い出してしまった。

 遠上寒山石径斜  
 白雲生処有人家  
 停車坐愛楓林晩  
 霜葉紅於二月花

授業で名物漢文教師に指名されて、ぼくが立って読み下す。
 
 遠く寒山にのぼれば石径斜めなり
 白雲生ずるところ人家あり
 車をとどめてすずろに愛す ふうりんのくれ
 そうようは にがつの花よりも紅なり

名物教師が言ったのです。
「うみよ、にがつとよむよりニゲツの方がよくないか?」
うわっ、かっこいい! 「にがつ」ではなくて「ニゲツ」かよ!
ソウヨウはニゲツの花よりも紅なり、かよ!
もう、それだけで、この詩のファンになったボクは、いまに至るまで「ニゲツ」で通しています。その読み方が正しいのかどうなのか−いずれにしても中国語の世界ですから、中国語の音を踏まえた詩の韻律があるわけで−それを日本語に翻訳して「ニゲツ」だの「にがつ」だの正当性を主張しても何の生産性もないのであるが、今に至るまで、この詩を口ずさむ時は「ニゲツ」というのです。
この詩をこよなく愛したボクは、ある教師のあるスキャンダルをネタにしたパロディをつくって物議を醸すのですが、それはまた別のサイドストーリー。
画像


1980年の秋に近い頃。岩波文庫から「茅盾」(もちろん矛盾のパロディだろうが…)という中国人の「霜葉は二月の花に似て紅なり」の翻訳本が刊行された。
えっ? 「霜葉紅於二月花」ではなく「霜葉紅似二月花」なの?
「於」と「似」を置き換えた、この岩波文庫のタイトルは、当然、杜牧の七言絶句「山行」を下敷きにしているはずだ。がぜん興味を持ったボクは買い求めたわけです。
ええ、ええ、読みましたとも!
しかし、悲しいな、痩せても枯れても岩波文庫。難しくて、いまも本を探して写真を撮ってパラパラとめくったのだが、内容をまったく覚えていない。したがって、以下は巻末の解説を引用しながらのアレンジです。

茅盾(ぼうじゅん)は杜牧の七言絶句を下敷きにして、二月の花を、挫折を知らぬ若者になぞらえ、霜葉を不遇に終わった詩人自身に模した。この小説は当初の構想では、五・四文化革命から「大革命期」を経て、毛沢東から1927年の蒋介石のクーデターに至る前後十年の激動期を扱う予定だったが、序章で終わってしまった。
つまり、1927年以前の毛沢東による左の革命。これに追随してあたかも革命家のごとく振舞っていた地主階級、小資産階級出身の青年知識分子を主要な登場人物に取り上げて、彼らが1927年以降の蒋介石の反共クーデターで、どう変わったか。
彼らは、今度は蒋介石による反共クーデターに呼応して反動化するのであるが、こうした意思のない日和見主義の反動化は結局長続きをしないで、紅葉した葉と同様に、間もなく散り落ちる運命にあり、歴史のとおり蒋介石は台湾に追いやられ毛沢東体制が確立する。
「この推移を霜をかぶった紅葉にたとえれば、これらの偽左派は春の本物の赤い花より赤くさえあるが、所詮偽物であり、『似』て非なるものである」という意図のもとに、茅盾は杜牧の詩を逆転させた。

よくわからん。主題は興味深く、もう、一度、きちんと読んでみよう。
ところで、ニゲツの花は一説によると「桃の花」と言われている。桃と紅葉を比較すると、どう考えても紅葉が紅だろう。二月の椿と紅葉を比べるのならばまだしも、「桃」だとすると、この七言絶句「山行」は成立し得るのであろうか? ボクはこちらの方が心配である。
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 3


第三の新人/享年92、土佐の安岡章太郎さん逝く

2013/01/30 02:31
いい気持に酔っぱらって帰宅すると安岡章太郎死去の報。享年92。
また、ひとり、第三の新人が点鬼簿に名を連ねた。
吉行淳之介、遠藤周作、庄野潤三、島尾敏雄(彼は第二次戦後派に入れるべきか?)、近藤啓太郎、阿川弘之あたりを指して(たしか山本健吉が命名したのだと記憶するが)「第三の新人」と呼称する。
92歳になって「第三の新人」もないものだが、するっていうと、ここで踏みとどまって考えると島尾も近藤も吉行も遠藤も存命であるならば90歳前後ということである。なんという季節の移り変わりの早さ。
画像

大岡f平、武田泰淳、野間宏ら第一次戦後派、第二次戦後派の、次世代の作家グループとして、1950〜60年頃に「第三の新人」が台頭する。
戦争体験に裏打ちされた文学と政治・イデオロギーとの関係を骨太に描いてきた前世代と異なって、イデオロギーに距離を置いてチマチマとした個人主義に則った私小説を書く彼らを若干の揶揄の意味を込めて「第三の新人」といった。
上の世代から攻められても下の世代(古井由吉ら内向の世代)から追い上げられても丁々発止の「文学論争」を交わすわけでもなく、淡々と自らの立場から小説を書いてきた彼らはよく言えば大人、悪くいえばヘタレであった。そして時代の変遷とともに第三の新人はいつしか文壇の主流に押し上げられる。

ボクが小説をようやく理解できるようになった頃は、この第三の新人のはしりから旬の頃であったから、彼らの小説を実によく読んだ。書棚に「第三の新人」棚が別枠で形成されているくらいである。

とはいえ、島尾、吉行、遠藤中心の読書であったため、安岡の小説は初期から数はこなしているというものの、ボクにとって印象は薄い^^ 岩波新書の「アメリカ感情旅行」も、新潮社の「純文学書きおろし特別作品」シリーズの「花祭り」も、処女作「悪い仲間」もいまは処分して見当たらず。ああ、そうだ。古いものでは母親の死を故郷・高知に帰郷して看とる「海辺の光景」(うみべ、ではなく、かいへん、と読みますが…)が印象に残っている。母の死と軍人であった父の父権の喪失を描いて必読。ほとんど記述のない海辺の光景は安岡の心象風景だろう。
画像

彼の作品がいいなあと感じはじめたのはボクが30歳を過ぎた頃からである。安岡は自らのルーツ探しに向かう。1981年の「流離譚」、88年に完結した「私の昭和史T〜V」、1979年の「放屁抄」あたり。
「流離譚」は故郷・土佐の安岡一族を追った長編歴史小説。時は幕末動乱。安岡文助の次男・安岡嘉助は土佐勤皇党の郷士として藩の参政吉田東洋を暗殺、脱藩して天誅組に参加、京で刑死する。一方、長男の覚之助も勤皇党に関与して入牢、その後出獄して戊辰戦争に参加、会津戦争で死亡する。
尊王攘夷、勤皇か佐幕か? イデオロギーが渦巻く幕末期の土佐の郷士を題材に扱って(もちろん坂本龍馬、武市半平太と同時期の人だ)、安岡は取り立てて政治的、思想的な旗を振っているわけではない。
イデオロギーは関係なく、ただ時代の荒波のなかで流離していく兄弟を緻密に捉えていく。
画像

「放屁抄」のあとがきで安岡はつぎのように書く。
「子どもの頃から、あちこちの土地を移り歩いてきた私にとって故郷はマボロシのごときものである、そういう意味のことをこれまでに何度も書いてきたし、いまもその気持には変わりない。とはいうものの、父母の生家のある土佐が結局のところ自分の故郷に違いないという思いが年々強くなってきたことは否定すべくもない」

明日の新聞に競って掲載される安岡章太郎の評伝。
ん? もう、それほどニュースバリューはないかな。
いずれにせよ「土佐と安岡」の関係を少しでも解説してくれる記事があればありがたいなあ。

安らかに…。

といっても92歳、老衰のため…、とありますから、大往生といってよいのでしょう。遠藤周作も島尾敏雄も吉行淳之介も、後輩の北杜夫も彼の地にいらっしゃいます。狐狸庵先生演出の文士劇を皆さんで賑やかに^^
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 2


ある直木賞作家のデビューの頃

2013/01/19 02:36
1月16日恒例の芥川賞・直木賞の選考会が開かれ、直木賞には戦後最年少となる朝井リョウさん(23歳)と安部龍太郎さん(57歳)、また芥川賞には、これは75歳と最年長の黒田夏子さんがそれぞれ選ばれた。
過去には直木賞の対象は中間・大衆小説のベテラン作家、一方の芥川賞は純文学の若い新人に近い作家という大まかな枠組みがあったが、いまではこの枠組みにはこだわっていないようである。
画像
(写真にとくに意味はない。東京の久しぶりの雪を収めただけ)

直木賞受賞の安部さんに対してひとつのエピソードがある。
1988〜89年頃のことだろう。ボクがいつも利用している図書館のカウンターで、いつものように借り出し手続きをしている時、隣で図書館員に何か問い合せをしている男がいた。正確な雑誌名は忘れたのだが、オール読物か小説新潮、小説現代あたりだろう。
仮に小説新潮としておこう。
「小説新潮の別冊は図書館に入れないんですか?」
図書館員は「別冊は…、ちょっと…」。
彼、ここで恥ずかしそうに小さな声で「入れてくれたらありがたいんですが…。僕の作品が掲載されているんです」
図書館員は、いきなりの言葉にどう対応したらいいのかわからずモゴモゴとしていたが、彼はそれだけを言うとテレくさそうに図書館を出て行った。借り出しの手続きを終えたボクは、彼の後を追いかける形で図書館を出たが、彼は自転車で来ており、ちょうど鍵を自転車に差し込んでいるところであった。自転車の後方に名前が書いてあり「安部」とある。
ああ、この男は安部というのかと記憶に留めて、後日、書店に行ったときに、その別冊を開いてみると確かに安部龍太郎の作品が掲載されていたのであった。

その後、同じ図書館で彼に数度出会った。ボクの住む近所に作家の卵(失礼!)がいるわけで、彼を見るたびに「頑張れよー」と声を掛けたくなったものだ。
そのうちに会わなくなったため、どこかに引っ越したのだろう。
それから、彼の作品=単行本が図書館に徐々に増えてきた。着実に作家としての地位を固めているのがわかった。ボクにとって歴史小説・時代小説は司馬遼太郎、隆慶一郎、藤沢周平を制覇するのと、折にふれて興味を持った作家の作品を一本釣りでつまみ読みするくらいなので、残念ながら安部龍太郎の本を読むことは一度もなかった。単にそれだけの出会いであったが、彼が成功しているのがうれしいのである。

今回の直木賞受賞を機に彼の略歴をみると、大田区職員であったとのこと。なるほど、だからボクの自宅の近所に住んでいてもおかしくないわけだ。年齢を辿ると、その時、彼は32〜33歳。おそらく商業誌に作家としてデビューした時のことだったのだろう。
いまも、ときどき、自転車に乗って図書館を後にする彼の姿が目に浮かぶ。少し微笑みを浮かべて「よーし、恥ずかしいけど図書館員に言ったぞ!」という軽い高揚感、充実感が伝わってきて、ほほえましかったものである。春か秋だったのか? 薄手ペラペラビニールの黒いジャンパーというのか上っ張りを無造作に着て自転車で走り去っていった。どこかの工員さんかな?という雰囲気であったが、いま、彼の略歴を知って後追いしてみると、まさしく、あの頃の正しい東京の公務員というスタイルだった。
20数年ぶりに新聞写真で邂逅した安部さんのご尊顔。当時は口髭こそなかったものの、いまも昔もほとんど変わらない容貌である^^

さて、芥川賞である。75歳の芥川賞作家というのも…。森敦が「月山」で芥川賞を受賞したのが1974年1月。森は明治45年生まれで、受賞した時は62歳だった。当時の最高齢受賞者であった。横光利一に師事して、檀一雄、中原中也、太宰治、北川冬彦らと作家活動をしていた人だ。20歳前半だったボクにとっては、歴史上の人物と交友を重ねてきたエラク古い人が浮かび上がったものだと驚愕したのであったが、いま、75歳の芥川賞作家といわれても、もはや慌てることはない。こちらも、それだけ歳を重ねてしまった。

芥川賞作家の受賞作はずっと読んできた。ボクにとって、それは「一般教養」であったわけだ。昔は受賞作を単行本として買うことをケチって、文藝春秋の受賞作掲載号を買って切り取って保管していた。写真のように。毎年の同誌2月号と8月号を楽しみにしていたものだ。菊池寛の戦略だろう。雑誌の売れ行きが停滞するニッパチに受賞作を掲載するというアイディア。
画像


いつごろからだろう。芥川賞受賞作を読まなくなった。
「一般教養」と思っていた芥川賞が世間とずれてしまったのだ。いまどき、芥川賞受賞作を読んでいることが他人に知られると、良くて変人、悪くいうと社会を放棄した落ちこぼれと思われ兼ねない。そ、そんなことはないか!^^

ネットで受賞作一覧を検索すると、最後に芥川賞受賞作を読んだのは1988年の李良枝の「由煕」。この頃の受賞作は池澤夏樹「スティル・ライフ」、新井満の「尋ね人の時間」、村田喜代子の「鍋の中」、南木佳士の「ダイヤモンドダスト」あたり。南木は医師だった。新井満は♪自由という名のお酒はおいしい〜と歌った歌手でもあった博報堂のひと。なによりも新井を発掘したのはさきの森敦だったと思う。池澤夏樹はいまも贔屓の作家である。

これ以降、14年間の上・下半期で40人以上の受賞者が輩出されたが、奥泉光も辻仁成も金原ひとみも綿矢りさも小川洋子も受賞作は読んでいない。ああ、本当に読んでいない、1988年以降、芥川賞受賞作を読んだのは川上弘美の「蛇を踏む」(1996年)、2005年の「沖で待つ」(絲山秋子)の僅か二作のみである。
純文学の輝きはいまいずこ。
一応、ときどき思い出したように受賞作が掲載された文藝春秋を買っているのです。ただ、雑誌が積みあがるだけで読んでいない。いつの日か読むときがくるのだろうか?
画像


芥川賞発表の「文藝春秋」も買はなくなりしもののひとつなり
                    歌集「覚えてゐるか」(中地俊夫)

いいねえ〜。
画像
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 4


2013年頌春−アキラの親不孝な歌声

2013/01/03 00:59
石原裕次郎より断然、小林旭が好きだ。二人の映画も歌もある程度知っているけれど、歌でいえば裕次郎は僅かに「錆びたナイフ」と「赤いハンカチ」、それに♪オイラはドラマー、ヤクザなドラマー…がボクの好みに過ぎないが、対するアキラはベスト盤を持っているくらいである。なぜ、裕次郎よりアキラなのかは、ネット上でぽつぽつ書いてきたから、ここでは言わない。
画像


週刊文春に連載している小林信彦のエッセイのファンである。このエッセイは1年分をまとめて単行本として逐次、文藝春秋社から発行されており、2012年5月に上梓した「非常事態の中の愉しみ」で14冊目になる。表紙カバー絵はクリント・イーストウッドとウディ・アレンですな。収録されているのは2011年1月から12月末までの1年間。だから、この1冊には2011.3.11の非常事態が色濃く反映されているわけである。
そんななかで2011.6.9号に書かれた「日本映画雑談1」の記述。たかだか週刊誌2頁分のエッセイだから全文引用してもいいのだが、そういうわけにもいくまい。ホンのさわりだけ。
※映画を観て帰った夜中、NHKのラジオ深夜便で、小林旭がカバーした「一杯のコーヒーから」(戦前)を聞いた。偶然である。
この歌が、アキラ独特の脳天に抜けるような<親不孝な歌声>でうたわれたので、思わず涙が出てきた。日々原発の恐怖にさらされている中で、アキラはやはりアキラなのであった。※



さっき、拾い読みをしていて、こちらが思わずもらい泣きしそうになった。アキラの魅力はこれなんだ。脳天を駆け抜けるようなノー天気な歌声は誰しも感じるのだろうが、小林は追いかけて「親不孝な歌声」と書く。ボクが言葉にできなかったことを小林は書いてくれた。それは間違いなく正確に「親不孝な歌声」なのである。
震災〜原発事故から3ヶ月後の世情のなかにアキラの親不孝な歌声が駆け抜けていく。アキラはアキラであり、小林信彦はやはり小林信彦であった。こんな表現にふれる時、本を読むことを趣味としていてよかったと思う。
画像

画像


今年の正月は天下無敵の初孫を迎えての正月である。親不孝者になるか、じじ・ばばが心配するアプレになるのか知らないが、とりあえずはお山の大将、天下無敵の初孫である。
谷川俊太郎の「あかんぼがいる」を思い出す。
http://www.1101.com/family_portrait/2004-05-03.html

そう、ボクもとうとう、じじぃになってしまった。立派な祖父になるつもりもないし、なれないだろう。キミの一生を見守ることもできない。ただ、キミの恋人が徴兵されて戦地に赴くような不幸がないように祈るだけだ。
記事へナイス ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 5


年の瀬の音

2012/12/30 21:45
篠つく雨になっております。
街々に飾られた新年を迎える
イルミネーションが健気な光をはなち
凍えています。
この大都会、東京の大通り、人影もすくなく。

軍靴の足音は徐々に近づき
ボクらは警戒心を緩めることはできません。
ただ、小市民susieにとって2012年は
ホンの少し成長した、いい年でありました。

なにか、この歳になって初めて
「夢の砦」をすこしずつ築いていけそうな
そんな自信が出てきています。

画像
記事へナイス ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 12


裏掲示板が謎のギャラリーに

2012/12/18 03:06
自分の裏掲示板(0bbs運営)に、14日午前2時以降、締め出されてしまった。書き込むことができない。
裏掲示板を訪れる人や、別のパソコンからは自由に書き込めるわけだから、どうやら、ボクのコンピュータから発信する情報のみが、0bbsからスパム扱いにされているらしい。
まあ、それはいいのだが(良くないけど)、運営元にスパムと認定されてしまったわけだから、友人たちが運営している同じ0bbsの掲示板にも書き込めないのだ。よくよく考えてみると、友人たちの0bbs掲示板に書き込んでいることは、ほとんどスパムに等しい内容だから、こういう措置を取られても仕方がないのか…と妙に納得しているボクがいる。
わははは。
「解除をご希望」して、掲示板運営会社に連打のメールを送っているのだが現在まで梨の礫、スイカのタネである。

ふと、なぜ「梨」なのだろう?と、ネット検索をすると「梨」と「無し」を掛けた語呂合わせ。ただし、「無し」と書くと、何もないものを投げることになるから「梨」と書かなきゃならないなどと大きなお世話で説明している。ぷぷっ。
興に乗って、さらにみていると「気になっていたのだが、梨のつぶてのつぶてとは何のこと? 梨の皮についているつぶつぶのこと?」という質問、相談がupされている。そっ、そっちかい! 「つぶて」という言葉もいまでは死語か。 

いつも不思議に思うのだが、ネット上で質問が出きるのであれば、ネット検索ができるスキルがあるはずだ。自分で調べようとは思わないのだろうか。娘と、そのことについて話したことがある。「おやじよ! あれは、あれで、ディープな共同体があるのだよ。よそ者には、うかがい知れない闇があるのだ」とのこと。おやじに似て、この娘、ホンマ、口から出まかせを言うヤツだ。

画像

別に掲示板のアドレスを勿体ぶって隠す必要もないのであるが、一応、裏掲示板ということになっているから。

愛読書に北村薫編「謎のギャラリー」シリーズがある。このなかの「愛の部屋」に収められている福田善之の「真田風雲録」が無類にいい。1960年の安保闘争敗北の3年後、1963年に演劇用脚本として書かれた。
大坂冬の陣では「真田丸」を擁して押し寄せてくる徳川軍を撃退・壊滅させ、夏の陣では城外に打って出て家康本陣にあと一歩のところまで迫り玉砕する。連戦連敗の大坂方で局地戦に勝ったのは冬・夏の陣をとおして真田軍だけである。
もちろん、福田の戯曲は真田軍の講談的活躍譚ではなく、全学連の闘士たちが安保闘争に敗北した後の政治状況を幸村たちに重ね合わせながら、インテリとして描かれる大野修理の真田十勇士に対する愛情、猿飛佐助と霧隠才蔵(お霧という女性して登場)の恋、好むと好まざるとに関わらず突出した部分に押し上げられていく真田軍の立場を描いていく。そういうことって、いつの時代でも確かにあるよなって苦笑する。みんな、哀しいのである。
なぜ、自分たちは徳川と闘うのか、十勇士たちが大真面目に理知的に、その意義をディスカッションするのが可笑しいのである。
10年前ほどに新潮文庫で刊行されているから、探せばまだ入手できるのではないだろうか。
画像

いや、そんな話はどうでもいい。
ボクの0bbsが「謎のギャラリー」になってしまっていることを言いたかっただけだ。
記事へ面白い ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0


吉田拓郎の「Long time no see」ではないのだが…

2012/11/22 02:24
とんと御無沙汰とは英訳すると「Long time no see」となるのか?
ん? ん? ん?  ん?

とんと御無沙汰である。裏掲示板ではバカ話ばかり書いているが、やはり表のブログの責務を果たさなくてはね。なあ、やまさん、りゅうさん。すでに2012年も終わろうとしているではないか。

更新はなくとも、わがブログにはプチ変化が現れているのである。
そのひとつが最近、過去記事にポツ、ポツとブログ玉が付いていること。これまでも、そんなことはあったのだが、この2週間ほど、それが頻繁、集中している。
「いついっか何時何分に、この記事にブログ玉がついたよー」って、BIGLOBEが知らせてくれるのでわかる。アクセス解析などと、そんな「下品なもの」をボクはつけていないから、それ以上のデータは何もわからない。
不特定多数からの拍手ではなくて、おそらくAさん、Bさんのお二人の方からの応援だろうと推測される。検索から入ってきた人だ。丹念に読んで、いいと思ったものにブログ玉を付けてくれている。
そのブログ玉の投じ方の路線、好みがA、Bさんで明確なのだ。きちんと、ひとつひとつ読んでくれているのだろう。そんな読者をありがたく思う。

もうひとつはこれ。多くの人がこの記事に入ってきている。もともとアクセスの多い記事だが、最近とくに出入りが多い。
http://11050443.at.webry.info/201007/article_3.html

これは、よくわかるんだ。森光子さんが亡くなって、各位が「放浪記」関係で検索をかけてくる。ボクの原稿を読んで森光子一辺倒で桐野夏生を知らなかった人たちが、彼女の小説「ナニカアル」を購入しているのではないか。少なくとも5部は売れたはずだ。ぷぷっ。

いずれにせよ読み終わったら、一言、二言、帰りがけに声を掛けてくれれば、ボクも「よーし、原稿を書こうか!」となるのだが(ナマケモノのボクはそうはならないか、わははは)、仁義もなく通り過ぎていくだけだからね。
きれいな腹の男はもう拗ねてしまっているよ〜〜。

画像

2006年11月に岩波ブックレットのシリーズとして刊行された「生きる力」(神経難病ALS患者たちからのメッセージ)が、このほど版を重ねた。第4刷。地味ではあるものの、着実に売れている。もっとも岩波ブックレット自体が地味なのだ。
書影をみていただくとわかるとおり、従来の「岩波ブックレット」の1冊としては明らかに扱いが違う。同シリーズは通常70〜80頁程度だが「生きる力」は堂々の135頁。装丁も以前のブックレットとは大きく異なっている。

学習院大学名誉教授の篠沢秀夫、医療法人徳洲会の総帥・徳田虎雄などが患っている病という以外、ここでALSを説明するつもりはさらさらないが、この「生きる力」は、これ以上の過酷な闘病生活はないというなかで「輝ける生」を生きたいという人たちの物語である。

画像

【目次のホンの一部だが、多分、ここの執筆者のひとりに「ああ、あの人…」と反応する読者がいるはずだ】

おりしも「岩波ブックレット」は今年、創刊30年を迎えている。
同社がこれに合わせて販売促進用に刊行した小冊子「はじめの一歩 はじめの一冊 岩波ブックレット創刊30年−15人がすすめるブックレット」の表C(裏表紙)に8冊のブックレットの書影が掲載されている。そのなかの1冊が「生きる力」である。
過去1,000テーマに達しようとするブックレットのなかで、「生きる力」はその8冊に選ばれているわけである。岩波書店に確認すると、これはブックレット編集部が「とくに読者に薦めたい本」を掲載したとのこと。「生きる力」とは、そういう本なのだ。
画像


えっとぉ〜。ボクは、この書籍紹介を一般社団法人日本ALS協会の機関誌「JALSA」(第88号、来年1月中旬発行予定)に書くつもりでいる。だから、ここでは、これ以上は書かない。ボクの書評を読みたい人は「日本ALS協会」のHPに入って年会費4,000円を支払って会員になる必要がある。ウッシッシッ。

まあ、冗談はともかく、この本は読んでおいてもいい本だ。決して特定の難病患者がどう闘ったという話ではない。キミらが人生の岐路にたたずんで迷った時、もう死んでしまおうかと思った時、頑張ろうとする気持が途切れた時、社会は自分を必要としていないと落ち込んだ時、限られた命をギリギリのところで生きようとしている人たちの生き方が必ず参考になる。買ってください。その印税は全て一般社団法人日本ALS協会に寄付されます。
よろしく。
画像
記事へナイス ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 5


丸谷才一さん、逝く

2012/10/13 23:07
丸谷才一さんが亡くなった。
速報をネットでみたばかりなので、おいくつだったのかも今はわからない。おおっ、87歳だそうだ。
明日の朝刊は文壇のボス(皮肉を言っているわけではない)の評伝で持ちきりだろう。

ボクは彼の評論のうまさと、それを実践する小説のヘタさ加減を面白おかしく書いてきたような気がする。それにエッセイの訳知り顔にも時々閉口した。ご本人はハイブロウのつもりだったろうが得意満面のユーモアが世間一般とずれていたのもおかしかった。でも、もちろん基本的に好きな人であったんだよ。だって、彼の小説はほとんど読んでいるもの。エッセイも評論も折にふれて読んできた。

徴兵忌避で逃げ回る男を描いて国家と個人の関係にふれた「笹まくら」は18歳で読んだ。「たった一人の反乱」はワクワクする面白さがあった。ここに出てくるおばあちゃんは胸のすくようなキャラクターだった。「裏声で歌え君が代」はしばらく考えさせられた。新聞社の社説執筆者の生態を描いた「女ざかり」(吉永小百合主演で映画になった)はあまりにもばかばかしくて、怒りのあまり読み終わった後、駅のホームのゴミ箱に放り込んだ。
画像


「樹影譚」で感心して、「輝く日の宮」のからくりに感心して、おそらく最後の小説であった「持ち重りする薔薇の花」にはがっかりした。経団連のエライ人がクラシック音楽のカルテットのスポンサーになって、彼らとの交流(愚にもつかないようなカルテットメンバー同士の色恋沙汰など)を描いているのだが、財界のトップはこんなに暇なのかい?ってな話だった。ぷぷっ。

ボクがいま、一番彼について思うことは、毎日新聞の日曜日の書評欄をあれほど魅力的に仕上げたことである。彼の功績なくして毎日の書評欄はなかった。以降、各紙が毎日の書評欄を参考にした。

忠臣蔵の人気を
鎮魂〜怨霊との関係で解き明かした名作「忠臣蔵とは何か」

かちゃかちゃと書いたので、後に修正する可能性あり。
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0


連日連夜、酔っ払っている

2012/10/12 02:17
酒と煙草はドラッグだとわかっているものの抜け切れない。とくに酒がひどい。毎日毎晩、フラフラになってベッドに倒れ込む日々が続いている。若いころも、そういう生活であった。午前3時、4時まで飲んで、そのまま倒れ込む。
しかし、若い頃は翌日、昼過ぎまで寝ていたのだ。それからおもむろに出社しても咎められることがない職場環境だった。仕事さえしていれば時間は自由に使えた。

ここが悲しいところ。歳のせいか^^、昼過ぎまで寝ていることができないで午前6〜7時になると起きてしまうのだ。必然として睡眠時間は3〜4時間になる。若い時と異なって体力も衰えているから一日中、フラフラの状態が続いている。だからと言って、一日中、ぼんやりとしているわけではない。むしろ、さまざまなことでフル稼働をしている。身体が持たんって!

本日、事務所に詰めていて、ちょいとボクのこのブログをみると「3ヶ月以上書き込みがないため、罰として広告を入れるよ!」ってな趣旨のことが書いてあって左サイトに広告が入っている。うううっ。ふざけるなってことで、よっぱらいながら、とにかく原稿を書いているのだった。
ああっ、無常。

そんなわけで。
裏掲示板で、村上春樹とボブ・ディランがノーベル文学賞の候補と書いたが、本日、中国の某に決定した。英国のブックメーカーによると春樹4、中国の某6、ディラン17倍だったそうだ。本命が外れて2番手が来てしまった。

最近、平凡社のムック本「別冊太陽」での「没後20周年記念 中上健次」を読んでいるとノーベル文学賞に関する面白い論述があった(それにしても中上健次が亡くなってから、もう20年が経過してしまったのか)。中上健次、春樹、三島由紀夫、大江健三郎、川端康成などの行動、思想をノーベル文学賞と絡めて書いているのだが当たらずとも遠からずっていう内容。

んっうっと。とりあえず、3ヶ月投稿していないから広告を入れるよっていうシステムを回避するための措置です。
中上の過去の行動、最近の朝日新聞を中心とした春樹の行動…。そして大過なくノーベル文学賞を受賞した大江の行動。タメにするための評論ともいえるし、一点を突いているなあとも思える。この続きをきちんと書きたいなあ。他人ごとかよ!

画像
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 2


読書する蜻蛉(とんぼ)

2012/07/12 01:41
この本がほしくて神田神保町を流した。
ついでに中地俊夫の「覚えてゐるか」が、自主製作の素人短歌集と並んで100均一で店頭ワゴンにあるのでは…と淡い期待を持ったが見当たらず。そうそう古本屋もうまい汁を吸わせてはくれない。ぷぷっ。
画像


斎藤美奈子の「本の本」(2012.6発行、ちくま文庫)。
あの、どんな作家にも噛み付く、切り捨て御免の斎藤が、ここまで誉めるか! ベタ誉めである。
「これはやはりかないませんわ」
わかる人はわかるのである。
池澤夏樹に対して最大級の手放しの賛辞を贈っている。
デビュー以来14年間の彼女の書評の集大成。頁数800ページ超、700冊650人の著者。索引が充実しているため書名からも著者からも、読みたい本に辿りつける。拾い読みをしていると次々に読みたい本が出てくるが、この書評を読んで読み終わった気分。

書価1,500円に対して散々歩いて1,200円。300円のマージンを取るために1時間強。マクドナルドで1時間働いた方が生産的でおつりがくるね。
買ったのはこの店ではないが、トンボがちくま文庫の上にとまって動かない。指でつついても身体を浮かせてホバリングしながら、また着地。読書家である。

画像
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2


続きを見る

トップへ

月別リンク

袋小路のはぐれ者−susie/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる